読者の皆さんは、「世界で最も電子化の進んだ社会」と聞いて、どの国を思い浮かべるでしょうか?

たとえば、中国から来日した観光客は、日本で不便に感じることとして、現金しか受け取らない店があることを挙げています。本国では、(地域にもよると思いますが)電子マネーや電子決済が当たり前となり、店によっては顔認証だけで会計を済ませることも可能となっているためです。確かに、そのような場所から日本に来れば、クレジットカードですら面倒な決済方法に思えるかもしれないですね。

反面、それは消費者のお金の流れや嗜好が、すべてデータとして把握されているということに他なりません。ある人が、中国人にこの点についての懸念はないのか質問したところ、冗談交じりに「元々、我が国にはプライバシーはないから…」と返されたそうですが、願わくは、どこの国であっても、電子化とプライバシーの保護は両立させてもらいたいものです。

話を戻して、この中国が、人口や市場規模、そして製造業分野における「世界の工場」としての地位を将来的に脅かす存在としてライバル視しているのが、インドです。

インドで進む新しい体制とは

これまでインドは、戸籍が曖昧だったり銀行口座を持たない人々が数多く存在していましたが、新たに政府主導で国民IDを発行し、これと銀行口座、そして携帯電話を結びつけることで、生活保障から行政サービス、民間による様々な消費者ビジネスをすべてキャッシュレスで行えるような体制を整えています。

国民IDは、全国民を対象に発行される12桁の固有番号ですが、個人の氏名、生年月日、性別、住所、顔写真はもちろん、指紋(手の指を全部)と虹彩パターンの生体情報も登録され、一元管理されるという非常に進んだものです。

また、銀行口座に関しては計画の立ち上げから1年未満で1億2,547万もの新規開設が行われるなど急速な普及を見せており、コンピュータの普及機を経ずにモバイルデバイスの時代を迎えた同国では、インターネットアクセスも携帯電話から行うことが常識化していることから、それら3つの情報が結びつく意義は大きいといえます(もちろん、プライバシーの問題は付きまといますが…)。

中国、インド、そして…

しかしながら、その思想や実現方法において、世界で最も先進的な電子化を行なっているのは、実は、バルト三国の1つで、中国やインドに比べればまったくの小国といってよいエストニアです。

筆者は10年ほど前にエストニアを旅したことがありましたが、その際には自然が豊かで、都市部にも歴史ある建物が多いという印象で、電子立国というようなイメージは受けませんでした。しかし、実際には1991年の旧ソ連からの独立時に国家の土台をテクノロジーによって構築するという目標を掲げ、インターネットもいち早く導入し、全国民がチップ内蔵のIDカードを所持するとともに、ほぼ100%のオンラインバンキング普及率を誇っています。さらに、選挙にもオンライン投票が認められており、行政サービスも、結婚と離婚、そして不動産売却の手続き以外はネット上で完結できるほどで、政府そのものがITによって支えられた国なのです。

大規模なサイバー攻撃を乗り越え構築されたものとは

同国は、2007年に旧ソ連の銅像を首都から郊外に移したことがきっかけで、世界初のサイバー戦争ともいわれた大規模なサイバー攻撃に晒され、社会機能が麻痺しかけたことがありました。しかし、元々、小国ゆえに国民が団結して独立を勝ち取ってきた歴史があるエストニアは、この危機を乗り切り、さらに強固なシステムを築き上げたのです。

同国の人口はわずか130万人ですが、かのビデオチャットサービスのSkypeもエストニアから生まれたほどで、今や、多くの外国人起業家をも惹きつけて国民一人あたりのスタートアップ企業数がヨーロッパ最多となっています。

また、サイバー攻撃を受けたことで、国民IDのセキュリティーは一層強化され、様々な手続きに伴う記録や業務処理は、すべてブロックチェーン技術を用いて改ざんされないように分散保存されるようになりました。

さらに、国民が何らかの手続きのために提出する情報も、しっかりトラッキングされるので、一度提供すれば二度と求められることはなく、公的機関や私企業が自分のデータにアクセスした記録もすべて公開され、必要に応じて調査もできるように高い透明性も確保されているのです。

極端にいえば、もしエストニアという国土が侵略などで失われても、ブロックチェーンで記録された国民のデータは残るので、それを用いて国家を再構築できるという考えが根底にあるといえるでしょう。

「e-エストニア」と「e-レジデント」

こうした考えに基づく電子政府は「e-エストニア」と呼ばれ、世界中から電子的な居住者を受け入れる「e-レジデント」制度も導入しています。これは、エストニアの物理的な国民でなくてもIDカードを発行するサービスであり、外国人でも簡単に会社設立や銀行口座開設、納税手続きなどが行えるようになるため、この制度を利用してすでに2万人以上の電子居住者と1,400社を超える起業が行われています。

「e-レジデント」の当面の目標は2025年に1,000万人の電子居住者を実現することにあり、電子的な人口は現国民の8倍にもなる計算ですが、ネットの特性を考えると、これは十分に達成可能な数字といえそうです。

ここまで電子化が進むと、金融ビジネスはあえてフィンテックなどと呼ぶ必要もなく、何をしても、デジタル技術やブロックチェーン技術に基づく先端的なサービスになってしまいます。

冒頭のように、中国人観光客が不便に感じる日本の現状がエストニア並みになる日が、遠くない将来に訪れることを願ってやみません。


執筆者:大谷和利

テクノロジーライター,原宿AssistOnアドバイザー,自称路上写真家。Macintosh専門誌, デザイン評論誌, 自転車雑誌などの誌上でコンピュータ,カメラ,写真,デザイン,自転車分野の文筆活動を行うかたわら,製品開発のコンサルティングも手がける